たとえばフランケンシュタイン対ドラキュラというタイトルのB級映画があったとしよう。博士がフランケンシュタインの怪物を作っているその町にドラキュラ城から逃げてきたことをにおわせる女がやってくる。謎の墓荒らし事件が頻発しそれを刑事が追う。同時にドラキュラ一味の暗躍が密かに町で進行する。ただそれだけ。なにも起こらない。地味なままの町。チープな特撮と奥行きのない光で撮るロケ撮影。あるのは紋切り型の役者のせりふと臭い演技だけ。フランケンシュタインとドラキュラが全面的な肉弾戦を繰り広げてしまったらそれはZ級になるし、それに大金をかければハリウッドA級大作になってしまう。フランケン話とドラキュラ話は、ねじれることすらなくパラレル。すっとぼけた肩すかしが昼メロのすれ違いのように、B級映画には必要なのだ。B級映画はわかる人にしかわからない。B級映画の謎は、映画の中では起こらない。スクリーンとこちら側が、メタ化して日常的現実の中でじわじわとわき起こる。だからB級映画を語るこのブログは、映画評論ではない。どこまでも、変態だが奇妙な現代を映した、常識人の、その日常を、語る、日記、だ。
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