2011年7月30日土曜日
思い出してしまう。
どこかに、映画館だらけの、町があって、そこに住む、もう一人の自分が、私に対して、暗闇の、映画館の椅子から、精神攻撃をしかけているのだろうか。無意識の領域に、働きかける、映画という、異界の生物が、どこかに、たしかに、いる。だから、映画劇場は、風邪で休んだ、平日の午前中だったり。浪人中の下宿の近所だったり、不意の日常が、よく似合う。昨日までなかった、古びた名画座が、歩きなれた、曲がり角に、不意に、現れる。そんな、不思議の国のサーカスのようなもの。ぶらり、立ち寄った、見知らぬ町の、ブックオフの片隅に、忘れられたように、さっきまで、存在した、幻想の本棚。それが、フェイスブック選書。
2011年7月27日水曜日
アルファヴィル
先日定義した侵略下ものという作品ジャンルだが本作しかり。
本作からの派生、ウルトラセブン第四惑星の悪夢。
これなんかも空に昼間なのに月がいくつもある団地の風景は、
いかにも重苦しい侵略下の市民の日常をおもわせやるせないところがツボ。
本作からの派生、ウルトラセブン第四惑星の悪夢。
これなんかも空に昼間なのに月がいくつもある団地の風景は、
いかにも重苦しい侵略下の市民の日常をおもわせやるせないところがツボ。
2011年7月16日土曜日
吸血鬼ゴケミドロ
この映画はラストになって、これからが全面的な侵略だなとおもわせる絶望的シーンを描いているからこそ救いようがないとされているが実はもうすでにオープニング段階で円盤遭遇は日常で、それを前提とした全面的侵略下での心ボロボロの乗客ばかりの、いちフライトだと考えるほうがよい。もはや侵略ものとしてではなく終末的世界での矮小で卑近な人間の喜劇的群像劇として仁義なき戦いのように暗くズレたトーンを楽しむべきだ。言ってしまえば侵略ものではなく侵略下もの。これはもうライバル作品のマタンゴも及ばない救いがたさである。マタンゴもオープニングのシーンに仁義なき戦いのようにキノコ雲のカットでも入っていればそれはそれですごくなったかもしれない。海外を意識したお洒落さがそれを許さなかった。皮肉にもタランティーノ絶賛でこっちのほうがいまでは海外仕様のオープニング。真っ赤な空の方に軍配が上がる。金子信雄もでてるし。
2011年7月13日水曜日
2001年宇宙の旅
確かに我々人類は映画2001年宇宙の旅のラストシーンが示すようにスターチャイルドへとすでに進化を遂げてしまったのかもしれない。しかし、それは無限の宇宙空間に浮かびあらゆるものを睥睨する巨大な胎児でしかない。動くことも、泣くことも、しゃべることもままならない。ただ知性だけが異常に肥大し、ぴくぴくと羊水内でけいれんするしかない存在なのだ。そう、我々スターチャイルドはいつ出産の時を迎え、いつ自分の足で立ち上がり歩き出すことができるのであろうか。手のひらの中のアイフォンという小さなモノリスを未だ卒業できていない。
登録:
コメント (Atom)