2011年5月5日木曜日
私の90年代はCDではなくVHSだった
現在DVDを持っていないので借りては録画したビデオ時代のザラついた画質の記憶残像を辿って記憶の中の90年代VHS黄金時代として当時の黒家電の部屋や高円寺のTSUTAYAを思い浮かべながら映画とかドラマとかを語ってみたいと思います
2011年5月1日日曜日
花くまゆうさくのはんぱ人間を読んだ
花くまゆうさくのはんぱ人間を読んだ
ここには
カフカ由来の変身物の定番プロットが完備されている
まず
黒い影として主人公の背後に
不気味にそびえるコンビナートなど
機会文明社会の管理された殺風景と
冴えない男の底辺な日常が描かれる
そこには
寮の屋外の洗濯機などの荒涼が配置される
黒沢明の生きるでは
書類の散乱する役所の窓際
さらに
男は
報われない非現実的な恋に孤独な自室で悶々としていたりもする
そして
メフィストフェレス役やマッドサイエンティスト役といった
奇妙な人々との出会いの場として
不気味な研究所と見知らぬ街が描かれる
黒沢明の生きるでは
病院の診察室であり盛り場である
安部公房の燃えつきた地図や箱男もその系譜
そこにおいては
変身人間にされてしまい矮小な人生は荒波のように翻弄される
そこにおいては
殺人と逃亡と犯罪と不条理のヒッチコックな
スパイや探偵の入り乱れる活劇世界が広がる
ついには
やがてクライマックスを迎え
主人公の男は神話的な場所で英雄となって散る
例えば
土曜ワイドな断崖や
ビルの屋上や
東京タワーからの墜落
ここで
松本清張のゼロの焦点も変身人間物としてあげておく
黒沢明の生きるでは
ありえないほどの雪の降り積もる
ビルの谷間の公園のブランコ上で
主人公は遭難したかのように描かれる
歌いながら雪に埋もれ消えていく
故に
このシーンにおいて
黒沢明の生きるは
主人公役の名演も手伝い
東宝変身人間シリーズ中
ガス人間をも超える傑作な変身人間の最期を描いたといえる
黒沢明の生きるは
敢えて変身人間シリーズと声を大にして問いたい
決して泣ける難病物なんかではない
彼はスーパーマンである
逆に帰ってきたウルトラマンは
スーパーマンなんかではない
彼は悲しき変身人間である
帰ってきたウルトラマンの冒頭二話は
その荒涼とした感じも素晴らしく
ウルトラセブン最終二話をもしのぐ
悲しき変身人間物の傑作である
ここには
カフカ由来の変身物の定番プロットが完備されている
まず
黒い影として主人公の背後に
不気味にそびえるコンビナートなど
機会文明社会の管理された殺風景と
冴えない男の底辺な日常が描かれる
そこには
寮の屋外の洗濯機などの荒涼が配置される
黒沢明の生きるでは
書類の散乱する役所の窓際
さらに
男は
報われない非現実的な恋に孤独な自室で悶々としていたりもする
そして
メフィストフェレス役やマッドサイエンティスト役といった
奇妙な人々との出会いの場として
不気味な研究所と見知らぬ街が描かれる
黒沢明の生きるでは
病院の診察室であり盛り場である
安部公房の燃えつきた地図や箱男もその系譜
そこにおいては
変身人間にされてしまい矮小な人生は荒波のように翻弄される
そこにおいては
殺人と逃亡と犯罪と不条理のヒッチコックな
スパイや探偵の入り乱れる活劇世界が広がる
ついには
やがてクライマックスを迎え
主人公の男は神話的な場所で英雄となって散る
例えば
土曜ワイドな断崖や
ビルの屋上や
東京タワーからの墜落
ここで
松本清張のゼロの焦点も変身人間物としてあげておく
黒沢明の生きるでは
ありえないほどの雪の降り積もる
ビルの谷間の公園のブランコ上で
主人公は遭難したかのように描かれる
歌いながら雪に埋もれ消えていく
故に
このシーンにおいて
黒沢明の生きるは
主人公役の名演も手伝い
東宝変身人間シリーズ中
ガス人間をも超える傑作な変身人間の最期を描いたといえる
黒沢明の生きるは
敢えて変身人間シリーズと声を大にして問いたい
決して泣ける難病物なんかではない
彼はスーパーマンである
逆に帰ってきたウルトラマンは
スーパーマンなんかではない
彼は悲しき変身人間である
帰ってきたウルトラマンの冒頭二話は
その荒涼とした感じも素晴らしく
ウルトラセブン最終二話をもしのぐ
悲しき変身人間物の傑作である
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